“ロック=不良の音楽”

ペンシルバニア出身の“ビル・ヘイリー”は、ヒルビリー歌手を目指して40年代の間中多くのバンドを転々としていた。 ミュージシャンとラジオDJの二つの顔を持つ彼の元にリスナーから一本の電話が入った。
16~17歳の白人の少年からの「もっとビートが欲しい。カントリーはかったるい。」という不満の電話であった。 ビルに迷いは無く自らのバンド“サドル・メン”を“コメッツ”と改名し、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツを結成した。 “ロケット88”や“ロック・ザ・ジョイント”がスマッシュヒットし、1955年に“ロック・アラウンド・ザ・クロック”が大ヒットしたと共に、 同曲は映画“暴力教室”のテーマ曲であった。
このことが大人達のヒンシュクをかい、“ROCK=不良の音楽”という方程式が出来上がってしまったのだ。
大人たちがダメと言えば求めたくなるのが若者達である。そして彼らの支持と共に50年代には多くのロックンローラーが登場した。
“エド・サリバン・ショウ”に腰から下は映さないという出演条件の中、視聴率82.6%という伝説を残したスーパースター“エルビス・プレスリー”を筆頭に、エディ・コクラン、 バディー・ホリー、カール・パーキンス、ジェリー・リー・ルイス、チャック・ベリー、ファッツ・ドミノ、ラりー・ウイリアムス、 ボ・ディドリー、リトル・リチャードなど現在まで多くのミュージシャンに多大な影響を与えたロックンローラーたちが活躍した。
その後アメリカで生まれた“ロックンロール”が海を越えて世界的なムーブメントを起こしたのは言うまでもない。